お金の正体から円安の深層まで
— 日本の「失われた30年」の謎と、これからの資産防衛 —
はじめに:すべての問いは「お金とは何か?」から始まった
私たちの対話は、単純な問いから始まりました。「お金について、根本的なことから話しましょう」。この問いは、私たちが当たり前に使っている「お金」が、実は単なる紙切れやデータではなく、「信用」という目に見えない合意によって成り立つ、極めて高度な「社会的システム」であるという本質の確認へと繋がりました。
しかし、この探求は、すぐに日本の現状—「急激な円安」という現実—と直面します。なぜ、かつて世界最強通貨の一つだった円は、これほどまでに弱くなってしまったのか?
このレポートは、「お金=信用」という根本原理を羅針盤として、現在の「円安」の深層を掘り下げた知的探求の記録です。それは、日本が30年以上も脱却できなかった「デフレ」の謎、その裏で機能していた「政府の借金と国民の貯蓄」という異常な構造、そしてコロナ禍とウクライナ侵攻が暴き出した「ドルの支配」という世界の不都合な真実を解き明かす旅でもあります。
なぜ日本の物価は異常に安かったのか。なぜ国は巨額の借金をしても破綻しなかったのか。そして、なぜ今、すべての歪みが一気に噴出しているのか。このレポートは、そのすべての答えを時系列に沿って再構築し、最終的に「私たちは、この現実の上でどう資産を守るべきか」という結論を導き出します。
第1章 お金の正体 — 「信用」という社会的システム
私たちが最初に確認した「根本的なこと」。それは、お金が「社会的システム」であるという定義でした。
1万円札という紙切れが1万円の価値を持つのは、日本政府と日本銀行がその価値を保証し、社会全体が「これは1万円の価値がある」と共通の**信頼(信用)**を置いているからです。
この「信用」は、さらに能動的な形で経済を動かします。それが「**信用創造**」です。銀行は、預金(過去のお金)を元手に貸し出すだけではありません。銀行は、借り手(企業や個人)の「将来稼いで返済してくれるだろう」という**未来への「信用」**を担保に、その人の口座に「3,000万円」とデジタルで記帳します。
この瞬間、社会には「3,000万円」というお金が新たに創造されます。私たちが使うお金の大部分は、このようにして「未来への期待(信用)」をエンジンとして生み出されているのです。
そして、この「国の信用」を国際的に測る指標の一つが、私たちが直面している「**為替レート**」です。為替は、金利差、貿易収支、政治的安定性など、その国の「総合的な信用力(国力)」を反映した鏡なのです。
第2章 なぜ日本は異常だったのか? —「借金大国」なのに「円高」だった謎
ここから、最初の大きな謎に直面します。 日本は1000兆円を超える巨額の借金(国債)を抱えています。セオリー通りなら、国の「信用」は失われ、通貨(円)は暴落するはずです。
しかし、2021年頃まで、日本は「円安」どころか「円高」に苦しむことさえありました。この一見矛盾した「異常事態」は、なぜ可能だったのでしょうか。
それは、政府の借金という「マイナス要因」を圧倒的に凌駕する、3つの強固な「**円の緩衝材(バッファー)**」が存在したからです。
1. 世界最大の「対外純資産」という貯金
日本は「政府」こそ借金まみれでしたが、「国全体(政府+民間)」で見ると、海外に莫大な資産を持つ**世界一の「債権国(金持ち国)」**でした。政府の借金(国債)の9割以上は国内で買われており、「海外に資産を持つ日本国民が、国内で政府に金を貸している」という構図でした。
2. 圧倒的な「経常黒字」という稼ぐ力
日本は貿易や海外投資によって、世界でも有数の外貨(ドル)を稼ぎ出す「経常黒字国」でした。稼いだドルは、国内で使うために「円」に両替(=円買い)されます。この**継続的かつ莫大な「円買い」需要**が、通貨の価値を力強く支えていました。
3. 「安全資産」としての地位
上記2つの理由から、日本円は「世界で最も安全な通貨の一つ」と見なされていました。世界で金融危機が起こると、投資家は「安全な避難先」として円を買いました(**リスクオフの円高**)。
この3つのバッファーが、政府の借金というマイナス要因を完全に覆い隠していたのです。
第3章 パラダイムシフト — なぜ「今」、円は急激に弱くなったのか
では、なぜ「今」、この30年間続いてきた円高構造が崩れ、急激な円安という「パラダイムシフト」が起きたのでしょうか。
答えは単純です。前章の**「3つのバッファー」が、ついに決壊し始めた**からです。
最大の引き金は、コロナ禍とウクライナ侵攻が引き起こした「**世界的なインフレ**」と、それに対するアメリカの「**急激な利上げ**」でした。
- **アメリカ(米国)**:自国のインフレを抑え込むため、政策金利を0%から5%以上へと爆発的に引き上げました。
- **日本**:長年のデフレ構造から抜け出せず、景気を冷やす「利上げ」ができませんでした。
この結果、「金利が0%の円」と「金利が5%のドル」という、異常なほどの「**日米金利差**」が生まれました。世界中の投資家が「円を売って、ドルを買う」動きを加速させました。
さらに悪いことに、日本の「バッファー」そのものも弱体化していました。
- **稼ぐ力の低下(貿易赤字)**:資源価格の高騰や、「デジタル赤字」(GAFAへの支払い)の拡大により、日本は貿易黒字国から**貿易赤字国**に転落。かつての強固な「円買い」需要が消滅しました。
- **国力の低下(安いニッポン)**:この円安は、私たちが薄々感じていた「日本の国力低下」を暴き出しました。
iPhoneの価格が日米で同じ15万円でも、平均賃金が日本の約2倍あるアメリカ人にとっては「7〜8万円」の感覚にすぎない。
この「海外に比べて日本の賃金も物価も安すぎる(=円の購買力が低い)」という現実が、ついに為替レートに反映され始めたのです。
第4章 「安いニッポン」の構造 — なぜ物価は30年間も上がらなかったのか
では、なぜ日本は「安いニッポン」(デフレ)という異常な状態に陥ったのでしょうか。資源を輸入に頼る国が、なぜ「牛丼280円」という驚異的な低価格を維持できたのか。
それは、円高という「外からの防波堤」に加えて、国内にもう一つの「**内部の防波堤**」が存在したからです。
防波堤①:円高(Endaka)
前述の通り、円高傾向が続いていたため、海外から輸入する資源(牛肉、小麦、原油)の仕入れコスト(ドル建て)が、円換算で非常に安く抑えられていました。
防波堤②:低賃金(Deflation)
これが国内の防波堤です。牛丼の価格の大部分は、輸入コストではなく、国内の「人件費」と「家賃」です。日本は30年間、賃金がまったく上がりませんでした。企業は、この「上がらない人件費」を前提に、血のにじむような効率化(カイゼン)を行い、低価格競争を繰り広げました。
つまり、日本の異常な低物価は、「**円高による安い輸入コスト**」と「**デフレによる安い国内コスト(人件費)**」という、二つの巨大な防波堤によって奇跡的に維持されていたのです。
そして今、急激な円安によって「防波堤①」が決壊し、輸入コストが暴騰。そのコストが「防波堤②(低賃金)」では吸収しきれなくなり、国内の物価もついに上がり始めたのです。
第5章 失われた30年の「最悪の悪循環」— なぜデフレから脱却できなかったのか
では、すべての元凶である「なぜ日本だけが30年もデフレ(低賃金)から脱却できなかったのか?」という最大の謎に迫ります。
その答えこそが、「**政府の借金と国民の貯蓄**」によって引き起こされた「**最悪の悪循環**」です。
政府が「社会主義的」にならざるを得なかった理由
政府が1000兆円もの借金(国債)を積み上げてきたことは、国民に強烈な「**将来不安**」(増税、年金破綻)を植え付けました。
その結果、国民も企業も「未来」に投資(消費)しなくなりました。
- **国民 →** お金を使わず、将来不安からひたすら「**預金(貯蓄)**」した。(=国内需要が冷える)
- **企業 →** モノが売れないので、賃上げも「**設備投資**」もしない。
これが「**デフレまっしぐら**」の状態です。 経済の「自発的な需要」が完全に死んでしまったため、政府は**自らが借金をしてお金を使い(積極財政)**、効果の薄い公共事業などで無理やり「需要を補填」するしかありませんでした。
それは、市場メカニズムが機能不全に陥り、政府が需要を「計画的」に配分するという、まさに「**社会主義的な計画経済**」の構造そのものでした。
最悪の悪循環
ここに、「最悪の悪循環」が完成します。
① 政府が(生産性の低い分野に)借金してお金をばらまく。
② 国民は「また借金が増えた」と将来不安になり、そのお金を消費せず「預金」する。
③ 経済は循環せず、デフレが続く。
④ 景気が回復しないため、政府は再び①に戻る。
政府の「借金(赤字)」と国民の「預金(黒字)」だけが、空虚に積み上がっていく。これが日本の失われた30年の正体です。
そして、「なぜこんなことが可能だったのか?」という最後の答え。 それは、政府の借金(国債)を買っていたのが、**過去の貿易黒字などで国民が稼いだ「潤沢な預金(資産)」**だったからです。
国がもったのではなく、**国民の「過去の貯金」が、政府の「失敗の繰り返し」を支え続けてきた**のです。
第6章 外的ショックと「ドルの支配」— なぜ世界のインフレは円安を加速させたか
この日本の異常な均衡は、コロナ禍とウクライナ侵攻という「外的ショック」によって終わりを告げました。
世界は「供給網の混乱」「人手不足(賃金上昇)」「エネルギー危機」というパーフェクト・ストームに見舞われ、高インフレに突入しました。(特にイギリスは「ブレグジット」による労働力不足が重なり、より深刻でした)
一方、中国やアジアは、ゼロコロナ政策による需要低迷や、ロシア産エネルギーの継続輸入などにより、インフレは限定的でした。
ここで、地政学的な仮説が浮上しました。「これは中国のドル離れ(BRICS通貨構想)に対抗する、アメリカの意図的なインフレではないか?」と。
しかし、本質は違いました。インフレは「事故」でしたが、その「**インフレ対策(=急激な利上げ)**」こそが、アメリカの意図であり、ドルの力を世界に見せつける結果となりました。
「ドルOS」には逆らえない
米ドルは、世界経済の「標準OS(オペレーティング・システム)」です。石油も金融取引もドルで動いています。
OSの管理者であるアメリカが、自国の都合(インフレ退治)で「ルール変更(利上げ)」を断行した結果、日本や中国は(自国の国内事情で)利上げに追随できませんでした。
その結果、世界中のお金が「高金利のドル」に集まり、円も人民元も暴落。BRICS通貨構想も立ち消えになりました。
これは、「ドル(を支配するシステム)に逆らうコストは高すぎる」という、地政学的な現実を突きつけました。そして、この「ドル高・円安」という現実こそが、私たちの資産形成が向き合うべき大前提となったのです。
第7章 結論と未来 — 牛丼1000円時代の資産防衛
私たちは今、歴史的な分岐点に立っています。 「円高」と「低賃金」という2つの防波堤は決壊し、日本の「安い」物価は終わりを告げようとしています。
「牛丼1000円」の未来は、ほぼ間違いなくやって来ます。 問題は、その「インフレの質」です。
シナリオA:良いインフレ(国力の回復) → 【円高】へ
牛丼が1000円になった理由が、「生産性の向上」と「力強い賃金上昇」(例:時給2000円)の結果である場合。 経済が力強いため、日銀は自信を持って利上げでき、「日米金利差」が縮小します。 結果、円は買い戻され、国力は回復します。これは、私たちが目指すべき「当たり前の経済」の姿です。
シナリオB:悪いインフレ(国力の低下) → 【さらなる円安】へ
牛丼が1000円になった理由が、単なる「円安による輸入コスト高」と「人手不足」だけだった場合。 賃金は物価に追いつかず、国民生活は疲弊します(スタグフレーション)。 経済がボロボロなため、日銀は利上げができず、日米金利差は開いたままです。 結果、円への信頼は失墜し、さらなる円安(通貨暴落)へと進みます。
残念ながら、政府が「借金による補填」という古い構造(悪循環)から抜け出せない限り、私たちはシナリオBに向かうリスクを常に抱えています。
第8章 私たちが取るべき行動 —「円100%」という最大のリスク
この「ドルが支配するシステム」と「日本の構造的な弱さ(シナリオBのリスク)」という現実の上で、私たちはどう資産を形成し、守るべきか。
導き出される結論は一つです。
資産のすべてを「日本円(の現金・預金)」だけで保有し続けることが、今や最大のリスクである。
私たちは、円安やインフレによって、何もしなくても資産の「購買力」が一方的に目減りしていく現実に直面しています。
したがって、これからの資産防衛の基本戦略は「**分散**」以外にありえません。
1. ドル建て資産(金融資産)の必要性
これまでの議論の通り、「ドル建ての預金(あるいはドル建ての金融資産)」を持つことは、円の価値低下(円安)に対する最も直接的な「保険(ヘッジ)」となります。
日々の生活に必要な円は確保しつつ、将来のための資産の一部を、より金利が高く、強い購買力を持つ「ドル」に分散させることは、極めて合理的な選択です。
2. 現物資産(インフレ対策)の必要性
しかし、ドル預金(金融資産)だけでは、もう一つのリスク「**インフレそのもの**」からは逃れられません。インフレになれば、ドルであっても「お金」の購買力は目減りします。
そこで必要になるのが、**金(ゴールド)**や**不動産**といった「**現物資産**」です。
金(ゴールド)は、それ自体が金利や配当を生み出すことはありません。しかし、インフレ(モノの値段が上がる)局面では、モノである金の価格も一緒に上昇する傾向があり、資産の「購買力」を守る最強の保険の一つとなります。
「金利を生む**ドル(金融資産)**」と、「インフレから守る**金(現物資産)**」。
この両方に資産を分散させることが、私たちが直面する複雑なリスクに対する、最も堅実な答えとなるでしょう。